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不思議のストレス

まずはこちらのツイートをご覧ください。



以前、3 flyについて書いたことがあるのですが、私もこのツイートに関して非常に共感しました。「剥き出しな現象」とはなるほど言い得て妙な表現です。ツイート主さんは「その方がロマンチックに感じる」と、ポジティブで詩的な表現をされていますが、私はまた違う言葉でこのことについて考えてみます。

私が3 flyというトリックが苦手なのは(やるのが、ではなく見るのが、です。できませんので(笑))、「観客の想像する余地が全くないから」です。通常のコインズアクロスのように、手で握ったり、コインズスルーザテーブルのように、テーブルの下という見えない場所で、音によって貫通が分かるというような曖昧さがありません。目の前で何のカバーもなく、疑う余地なくコインが移動しますから。

それで「わーすごーい、魔法みたいだ」と感心できればいいのですが、残念なことに多くの人はそういう感想を持ってはくれません。そういう、疑う余地のない不可解現象が起こった時、人は強いストレスを感じます。何故ならば、理不尽現象が起こった時、「どのようにしてそれが起こったのか」と考えるのは、知性を持つ人ならば当然の反応だからです。

そして、それが普通の(手を握りこむタイプの)コインズアクロスであったり、コインズスルーザテーブルであれば、「見えていない瞬間」に理由を付けられます。「見えていない時に何かあったんだろう」と落とし所を付けられるのです。これができるだけでも、見る側のストレスはかなり違います。

ところが、3 flyというトリックでは、見る側が自分の「どのようにして行ったのか」という知性面での不安定さを落ち着かせるところが、全くありません。ですので、変な見せ方をしてしまうと、見た側が強い不安感を感じてしまうのです。

このため、単に不可解現象だけを叩きつけるようなトリックは、「不可能性が高いのだからウケるだろう」と思いきや(マジックを覚えたての頃はそういう思考に走りがちですが)、実はそうでもありません。そうでもないだけならまだしも、相手に対し、マジックに対する強いネガティブな印象を植え付けることすらあり得ます。理由は上に書いた通り、人間として当然の反応が起こるだけのこと。強い不思議だけを見せるのは、得策とは言えません。

このため色々な方法が考えられている訳です。最も単純な手法としては、マジカルジェスチャーもその1つです。「おまじないによって現象が起こった」ことを示すことで、ただなんとなく理不尽現象が起こったストレスを、少しでも軽減させるという意外な効果もあるということです(なので、マジカルジェスチャーはおろそかにしてはなりません。やり過ぎも問題ですけど(笑))。

また、ストーリー仕立てにするのも有力な方法です。要は、「100%不思議しかない」という状態にはしないことです。不思議以外の何らかの要素、笑いでも感動でも不条理さでも豆知識でも何でもいいのですが、そういうものがあれば、不思議で感じるストレスの、逃げ道ができるのです。

マジックにどっぷり浸かると、(自分がそうであるので)超不思議現象、超不可能現象ならば誰でも喜ぶと誤解しがちですが、そんなはずはないというのは、ある程度一般の方に見せ慣れてくれば、すぐに分かることです。そもそも、不思議以外の要素が何もないのであれば、マジックである必要性がありません。科学実験でもパズルでもいいということになりますし、そちらの方が答え合わせが付いているので、よほどストレスなく見られます。

忘れてはならないことですが、「マジックとは不思議に基づく娯楽」ですから、不思議の要素がないものはマジックたり得ませんが、同時に不思議の要素しかないものは娯楽たり得ないのです。「とにかく強力な不思議を」となりがちですが、このことは覚えておいて損はありません。

なので、「より不思議なトリック」を求めて、書籍やDVDを漁るくらいなら、既存のトリックに何か不思議以外の魅力的な要素を1つでも2つでも足す工夫をする方が、はるかにいいのではないでしょうか。そして、不思議さはさほどでもないけどそういう要素が足しやすいトリックの方が、エンターテインメントという意味では、意外に使いやすかったりします。

不思議であればあるほど悪いというのでは、もちろんありません。しかし「不思議以外の要素がない」のは危険です。そこに何か一味二味を加えられるよう、私自身もこれから工夫をしていければと思っています。 

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11枚のとらんぷ

今月末と来月の頭、ゆうきともさんが去年に続いて札幌へやってきて、ちょっとしたイベントがあります。10月31日(木)は、東京でも行われているらしい「ミステリーでも奇術でも」という、読書会&奇術会。

そして11月2日(土)はレクチャー&ワークショップ。このワークショップには、私もゆうきさんに演技を見ていただく予定です。背伸びせず、クラシカルで演じ慣れた手順を演じ、有意義なご指導がいただければと思っています。

その読書会&奇術会の課題図書が、泡坂妻夫の2冊。短編集「亜愛一郎の狼狽」と、氏の処女長編「11枚のとらんぷ」。2冊とも読み終わりました。泡坂妻夫の本を読むのは初めてだったのですが、特に後者はマジックファンならば間違いなく楽しめる本です。何せ、ダイ・ヴァーノンやフレッド・カップスも登場しますから。ヴァーノンはコーヒーを飲んでおり、ヴァーノンの前にカップスが座っています(笑)。

11枚のとらんぷ

「11枚のとらんぷ」は、奇術が大きな要素を占めるミステリー小説ですから、奇術に関する描写も多く出てきます。その中には、稀代の奇術愛好家厚川昌男の心の声とも思われる表現も、何カ所かあるのです。ご紹介します。

「奇術は多く覚える必要はないよ。アマチュアなら、本当に自分が愛着を感じた奇術が、五つもあれば充分だ。それと生涯を付き合い抜くのさ」

主人公鹿川舜平が、アマチュアマジックサークルである「マジキクラブ」のマジックショーで、四つ玉を演じた時の一言です(この台詞自体は過去回想ですけど)。

愛好家は、ともすれば新しいネタばかりを追い求める傾向にあります(私も例に漏れませんが)。しかし、アマチュアがネタを山ほど仕入れてみたところで、愛好家で見せ合うくらいのものです。一般の方に見せる時は、現象がはっきりしていて手順が込み入っていないクラシック、しかも何度も演じ慣れたものをやった方が、はるかに効果的です。

鹿川自身、さほど目新しくもない四つ玉の手順を、しかし丁寧に熟練の技で演じたとあります。変に新しいものにばかり手を出すより、そういう、長年に渡って磨き上げた手順の方が、人に見せる時の芸としては、はるかに上出来になるものです。

氣賀康夫さんも、著書「ステップアップカードマジック」の「はじめに」と「二十世紀カード奇術傑作選」の前文で、こう書いています。

読者も、カード奇術をいろいろ覚えるのは結構なのですが、レパートリーとする奇術は、自分で自分に合った演目を選び出して、多くても十種類くらいに限定した方がいいと思います。(中略)少ない種目をよく研究し、自分なりの演出を考えて何度も何度も演じていると、だんだん熟達してきます。同じ奇術でも、下手に演ずるのと上手に演ずるのでは、たいへんな違いが生じます。

奇術は演ずる側が楽しむためのものではなく、観ている側が楽しむためのものでなくてはならない。(中略)奇術を数多く研究するのはいいが、実際に人に見せるためのレパートリーをあまり多くするのは得策ではないのである。

この氣賀さんの言葉は、私なども若干耳が痛いところがあるのですが(笑)、しかし鹿川が言うように、本当に自分が愛着が持てる5つの手順を、絶対に持っていたいなと思っています。

アマチュアのピアノ弾きは、変にレパートリーを広げるよりも、自信を持っていつでも演奏できる、本当に得意な曲が2、3曲あればそれで十分です。今はDVDや動画の普及で、誰でも簡単にいろいろなトリックを仕入れられるようになりましたが、この事実は忘れてはならないと思います。

もう1つ、ラスト近くで登場人物のフランソワ・ランスロットの台詞をご紹介します。

奇術は単純であること、これが私の信念です。(中略)一つの奇術に、やたらに多くの技法を投入することも避けねばなりません。例えば、折角パスによって観客のカードを特定の位置に移したにもかかわらず、再びフォールスシャッフルなどする奇術家をときどき見かけますが、後の技法はまったく不要です。

私自身は、ややこしいプロットの作品は苦手です。どれくらいから苦手になるかと言うと、エド・マーローの「デビリッシュミラクル」辺りになると、ちょっと付き合い切れなくなる感じです。しかしそれでも、マニアになればなるほど、何も考えずに技法をとりあえず入れてみたり、無意味に現象を足してみたりしがちです。

そして、パスの後にフォールスシャッフルをやるなんて、私には色々な意味で奇妙奇天烈で無意味な動作にしか思えないのですが(だったら最初からシャッフルでコントロールすれば、と思ってしまう)、わざわざ書くということは、当時もそういう奇妙な動作をやる人がいたということなのでしょう。

なお、この台詞の少し前には、こんな一言があります。

パスは、演ってみろと言われて、演るべきものじゃありません。

カードの名手ランスロットの演技を見た奇術家の一人が、彼にパスをやってくれと頼んだ時の台詞です(この後「ですが、私の愛読者を失望させることはできません」と、パスをやって見せるのですが)。この後上の台詞に続きます。

「パスをやります」と宣言してからパスをやるような動画が、YoutubeにもTwitterにもあふれていますが、もし泡坂さんがそれを見たら、どう思っただろうかと考えると、少し気になります。

この「11枚のとらんぷ」という本は、ミステリーとしても面白いのですが、マジックを趣味とするならば、思わずにやりとできる箇所が多々あるため、マジックファンであれば是非読んでいただきたい1冊です。手品の本ばかりではなく、秋の夜長にたまにはこういう本もいかがでしょうか。 

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人前で演じてなんぼ

まずはこちらのツイートをご覧ください。


この問題は、氣賀康夫さんも「奇術入門シリーズ トランプマジック」の冒頭、「奇術の心」で、同じようなことをお書きになっています。引用します。

奇術は人を楽しませるものでなくてはならない。そのため演者としては「観客はどう感じようと自分さえよければいい」という態度ではなく、「観客の楽しむことがすなわち演者の喜びとするところである」との心構えを持たなくてはならない。これが奇術に成功するための第一の鍵である。

技術には卓越しているが、この鍵を忘れている奇術愛好家が少なくない。このような奇術愛好家にはなりたくないものだ。(改行は筆者挿入)

この本の初版は、1996(平成8)年。今から23年前です。更に、この本はもともと「百万人のトランプ手品」という、1972(昭和47)年に刊行された本の、ある意味復刻版です。「百万人」にも同じ文章があったかどうかは分かりませんが、いずれにせよ、少なくとも「トランプマジック」が初版で刊行された、20年前から同じような人はいたのでしょう。

ですが、その頃はまだ動画サイトYoutubeはありませんでした(Youtubeの設立は2005年)。動画サイト全盛になって、上のツイート主さんが言われている「どうだ俺のマジック凄いだろ」という見せ方が、激増したように思います。特に今の中高生のマジックファンは、物心ついた頃にはもうYoutubeがあったのですから、そのような(このような悪い言葉を使うのをお許しいただければ)「汚染された」動画の演技に、影響を受けないようにするのも大変ではないかと思います。

そもそもクロースアップマジックとは、目の前で1人から数人、多くても10人程度の相手に見せるものです。目の前で少人数相手に見せるのが前提の芸ですから、とにかく不特定多数相手に再生数を稼ぐのが目的の動画サイトとは、オイルアンドウォーター、ではなく水と油の関係なのは、考えなくても分かることです。

加えて、再生数を稼ごうとすると、得てして人は低俗で倫理など無視した、炎上上等の方向へ行きがちです。コンビニの冷蔵庫に入ったりするなどの、いわゆる「バカッター」と呼ばれる人が後を絶ちませんし、マスコミも、視聴率を稼ごうとするあまり、遺族に対する配慮を欠いたインタビューや、低俗極まりない煽りを連発するくらいですから、Youtubeで種明かしだの、技術の見せびらかしだのが横行するのは、むしろ自明の理と言えましょう(まあ、バカッター問題に関しては、単に閲覧数・再生数を稼ぎたいだけでなく、ネットリテラシーの低さ、知識のなさが招いている問題でもあるので、完全に同一視はできませんが)。

クロースアップマジックで重要視すべきは(こんなことは改めて私が書くほどのことでもないはずですが)、目の前のわずか数人の相手なのです。どこの誰かも分からない動画の再生者ではありません。

断っておきますが、私は決して動画の意義を否定しません。私自身も、自分の演技を動画にして、初めて分かったことがたくさんあります。また、ある意味の自己顕示欲も決して否定しません。「見て欲しい」という欲は、正しい方向へ向ければ、上達への強い意欲になりますからね。

しかし、それが第一に来て、「楽しんでもらう」という目的が行方不明になった時、そのような演技(動画)は氣賀さんや冒頭のツイート主さんが書かれていたように、おおよそ人を楽しませる芸とは正反対の、感じの悪いものになり下がります。マジックとは、本来動画で見せるようなものではありません。人前で演じてなんぼなのです。

動画という新しい文化を完全否定するのも、もったいない話です。しかし、動画だけで終わってしまっては、料理番組だけを見て料理を味わわせた(見る側からすれば「味わった」)気になっているにも等しいでしょう。言わば、「味わわせた(味わった)つもりで何も味わわせて(味わって)いない」状態です。動画は、その意義を理解しつつ、賢く利用したいものです。 

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外向きの活動

私は、長らくピアノとフルートを習ってきました。もうピアノは手放してしまいましたが、フルートは今でも2本所有しています(普通のフルートとアルトフルート)。随分吹いていないので、もう音を出せる自信がありませんが……(笑)。

そして、フルートは私が習っていた先生がやっているフルートアンサンブルグループに所属していました。楽器は、とにかく人に聞かせてなんぼですし、定期的に演奏会を企画していました(私が企画した訳ではないですが。でも、司会は何度もやりましたよ。元放送部なのです)。

アマチュア楽団の演奏会は、なかなか大変です。小さなホールでも200人くらいの観客を集めないといけませんし、プログラムを作ったり音響関連も考えないといけなかったり、することはたくさんあります(ま、地元のお祭りに呼ばれたような場合だと、あまり考えずに吹くだけでいいのですが)。

大変なことも多いのですが、やりがいも大きいですし、何よりそうして活動することで、少しずつ自分たちの楽団とフルートアンサンブルというジャンルを好きな人を増やしていくという目的がありましたから、こつこつと活動していました。その甲斐あって、結構色々なイベントに呼ばれるようになったんですよ。

もちろん、楽器をやっているならば、楽器の腕も磨かないといけないのは、当然のことです。なので、公開レッスンを受講したりもしました。しかしそちらはアマチュアの活動のメインではありません。あくまで、自分たちの演奏をアピールすることが第一目的です。

では、アマチュアマジシャンの場合はどうでしょうか? 愛好家同士で見せ合ったり、あるいはプロマジシャンのレクチャーを受講する。これももちろん楽しいものです。しかし、アマチュアの音楽愛好家と比べると、活動があまりに内向きになってしまっているのではないかと、私は感じています(内向きの活動、楽しいんですけどね。マジックマーケットも、一度は行きたいと思ってますし)。

音楽も手品も、「人に聴かせないと(見せないと)あまり意味がない」という点では共通しています。しかし、音楽はまだ、自分の部屋で一人で演奏し、名曲の響きに酔いしれるだけでも楽しめます。ところが手品は、自分の部屋で一人で複雑怪奇な手順をこなし、理不尽現象をいくら起こしても、そんなものには何の価値もありません(高木重朗さんもお書きになっていますが)。

ですがアマチュアマジシャンは、個人でマジックバーで活動したり、ストリートで見せたりする人以外は、せいぜい友人に見せるくらいです。なので、もっと自分たちで活動の場を作ってもいいのではないかと、前々から思っていました。

アマチュア楽団が定期演奏会をやるのに比べれば、アマチュアマジシャンがクロースアップショーをやるのは、格段にハードルが低いはずです。会場費も安く、集めるべき客も一桁違います。小さな会議室に10人の客でも、十分形になります。

最初は知り合いや友人に必死に声をかけないと、客が集まらないかも知れません。でも、それでもいいのです。アマチュア楽団だって、立ち上げ直後はそんなものです。そうして活動を地道に積み重ねると、必ずファンができて、少しずつ活動が広がっていきます。

それに、たとえ知り合いや友人であっても、「少し特別な場所で、少し改まって手品を見てもらう」という経験をしてもらうのは、普段の生活で、日常の一部として見てもらうのとは全然違います。学校の音楽室のピアノで放課後に弾いているのを聞いてもらうのと、小さくても演奏会で客として来てもらって聴いてもらうのと、全然違うのと同じです。そういう経験は、相手のマジックの楽しみ方、見方も変える可能性があるのです。

よく、「マジックをより知ってもらうため」「マジック界の発展のため」と称して種明かしをする人がいますが、根本的に考えが間違っています。マジック界の発展のためであれば、やるべきは「マジックをする人を増やす」のではなく、「マジックを楽しんで見てくれる人を増やす」ことでなくてはなりません。

これが楽器であれば、演奏する人が増えれば、楽しんで聴く人も増えます。が、マジックをやる人は、普通の人と同じ感覚では決してマジックを見ることができません。極端な話、日本国民全員がマジックをやるようになると、もはやマジックという娯楽は成立しなくなります。まあ、マジックショップは、マジックをやる人が増えてくれた方が儲かるかも知れませんが(笑)。

まあ、種明かし論争について書くのは今回のテーマではありませんので、それについては書きませんが、とにかく「マジックを楽しく見てくれる人を増やす」ことに、もう少し目を向けてもいいのではないかと思うのです。

なので、せっかく「北海道クロースマジックマジシャンズクラブ(仮称)」という活動をするなら、外向きにも活動できればなと個人的には思っています(あくまで思っているのは私だけです(笑))。内向きの活動も楽しいのですが、それだとどこにも広がっていきませんからね。私は、自分がマジックを上手くなるよりも(今のような下手くそのままよりは、ある程度は上手くなる方が望ましいですが(笑))、マジックが好きな人が1人でも増やせるような活動の方に興味があるのです。

何も大々的なイベントじゃなくてもいいのです。小さな部屋を借りて、一般の方向けのちょっとしたクロースアップマジックのショーを、ある程度定期的にやる。こういう運動が少しずつ広がれば、少なくとも「マジック界のため」と称して種明かしをするよりは、マジシャンもノンマジシャンも、よほど幸せになれるのではないでしょうか?

北海道クロースアップマジシャンズクラブ(仮称)は、10月に第1回目の例会を開く予定です。まず最初は定期的に集まるところから始まると思います。活動はここで随時紹介していきますので、続報をお待ちください。 

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「北海道クロースアップマジシャンズクラブ(仮)」計画

昨日、私と同じく札幌在住の奇術愛好家、Izumiさんとお会いしました。実は札幌市にはアクティブに活動しているマジックのサークルがなく(実はあるらしいが、インターネットでいくら検索しても出てこない)、クロースアップを主体にしたサークルを作れるといいね、というTwitter上でのやり取りから、一度お会いして話しましょう、ということになったのです。

私は、山口在住時には「山口マジシャンズチーム レア」に所属していまして、ここはFISM3位の高重翔さんを輩出していたり、今や全国区のコメディマジシャンまんぼうさんもいたりして、なかなか凄いサークルなのですが、そこでのお話をしたりして、まずは定期的に集まってみようということになりました。詳しくはそのうち発表しますので、札幌近郊の方は是非お気軽にご参加ください。

なお、昨日Izumiさんにいくつか見せていただいた中で、シンプルなオイルアンドウォーターに大変驚きました。目の前でカードマジックを見て、完全に引っかかったのは久々です(いつ以来だろう?)。

途中までは「こういうやり方です」という、単なる手順のデモンストレーションかと思っていて、「まさかこれで分離する訳ないよね」と思っていたんですが、最後で本当に赤と黒が分かれていて、本当にびっくりしました。オイルアンドウォーターは色々な手順を知っているつもりだったのですが、まだまだ奥が深いですね。

その他マジックマーケットの戦利品も見せていただきましたが、これも大変面白いものでした。調べたところ「トリケラトプス」という道具のようです。無作為にたくさんの平仮名が書かれたカードの中から5枚を選び、そのカードの中に含まれている文字を使って、5文字の単語を作るのですが、カードに平仮名はたくさん書かれているので、当然見ただけでは単語など分かるはずがありません。

それでも、その状態で演者は選ばれた単語を当ててしまいます。これは非常に不思議です。カードも非常に高品質で、これはマジックショップでも扱っているようですね。「量子言語訓練機」とか「世界特許」なんて、仰々しい煽り文句もいい(笑)。私も目の前で見て、その不思議さに度肝を抜かれました。お勧めの商品です。

私が演じたのは、ジョン・バノンの「Move zero vol.1」の「Sort of psychic」。これの私なりの改案です。自分ではまあまあな改案だと思っています。愛好家同士で演じると、色々なことを指摘しあえたり、刺激があっていいですね。愛好家の前でしか演じないと、だんだん歪んでいってしまう恐れがあるので、注意が必要ですが(笑)。

そんなわけで、2時間ほど色々な話で有意義なひと時でした。とにかく、札幌のマジックシーンがより盛り上がればと思っています。予定では10月に第1回の例会をすることになっています。決まりましたらお知らせしますので、続報をお待ちください。なお会の仮称は「北海道クロースアップマジシャンズクラブ」。「札幌マジシャンズクラブ」というのはあるらしいので(探しても見つかりませんが)、大きく「北海道」と出ました。まあこんなのは早い者勝ちです(笑)。あくまで仮称ですので、これから変わるかも知れませんけど。

最初は定期的に集まるだけでも、そのうち会で小さなクロースアップショーを企画したり、とにかく「人前で演じる」場を何とか作れるといいなと思っています。動画で見るマジック(「技法練習」ではなく)もそれはそれで楽しいですが、マジックはやはり人前で演じてなんぼですからね。

「山口マジシャンズチーム レア」は、人前で見せる機会が色々あり、中でも「マジックバーまんぼう」で、色々なメンバーが定期的に演じていたのです。やはりマジックというのは、技法がいくら上手くできても、それだけでは駄目で、人前で見せてこそです(だから、「レア」はみんな実力が高かった)。

という訳で、このブログでも活動内容につきましてはご報告しますので、期待せずにお待ちください。 

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